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    立川談志 現代落語論より 

    2011/05/24 16:21/Tue | ☆先人達の言葉☆ | CM(0) | TB(0)

    立川談志 現代落語論より


    落語は将来いったいどうなるのかね、とよく人に聞かれる。
    ~ 今の盛況は落語ブームではないし、むしろ軽演芸ブームというべきものだと思う。観客がおおぜいきて、楽しそうに笑ってはいるが、その笑いの内容をみた時は、まるで違っていて、噺を聞くのではなく、演芸を見て笑うといった人たちばかりのようであって落語に対する求め方がいまや違ってきているのだ。
    こういう現代にうけている人たちは、人気者であり、爆笑王なのだ。
    しかしそのような爆笑をともなうものの中から、いわゆるイキやオツさを求めるのが現代だというのなら、古典落語はまるでとり残された世界になってしまう。
    しかもその現代では、下品なイヤ味ある笑い本意の傾向はますます強くなり、若手噺家もそのようなことを演じる連中が多くなっている。本当の落語の未来は、どうなるかははなはだキケンだし、大衆という名に押しつぶされることになるかも知れない。
    極論すれば今の寄席の観客にとって落語の本質は必要ないのだし、この観客を楽しくさそいながら、本質的な笑いを聞かせようとする技術をもった噺家があまりにすくないのではないだろうか。
    つまり現代と大衆と古典をつなぎ合わせる落語家がいなければ落語はかならずダメになる。

    師匠や先輩に教わったとおりに噺を演じていたのでは、よほどその人がすばらしいテクニックを持っていなければダメで、もしそれを若くしてもっていたとしても、聞く方にとってはそれを教えた人たちの噺をきいている場合、そのよさが頭にこびりついているもので、いくら器用でも、それとまったく同じには演者が違うのだからできるわけはないし、そのまま演じていたのでは、すべてにおいて先代にかないっこはないのだ。だから、先代はよかった、そしてまたその先代はうまかったとなる。
    ~ 先代の名作に切り込んでいき、それに匹敵するような噺を演じるのが、演者の演出力であり創作力なので、その源は現代をどれだけ理解しているかという、いわゆる当人のセンスに負うところがおおい。
    ~ 教わった通りに演じる、という段階をへてからはじめて自分のできない技術をカバーし、自分の得意な技術をくわえ、特徴を生かし、ギャグを入れ、場合によっては人物の性格を変え、落げまで変えてみるくらいの演出力が必要で、これをその人なりに完成したとき、同じ噺でも、先代たちの残した作品とくらべることができうる。
    とくに現代という、テンポの違う、感覚のまるで昔と変わってしまった時代に、古典落語の豊かな笑いを残そうとするためには、演出力がなくてはとてもつとまらない。
    ~ ところが現状では、自分流にほんの部分的に直す若手はいても、自分のものにするまでの演出力をもつ若手はかずすくない。教わった噺を正当に、古典のセンスからはずれないようにこれを直すのは、よほど感覚的に落語を演じられる人か、現代における古典落語のあり方を分析できる人でないと、その噺はこわれてしまう。
    しかし、先代たちの作品の中には、ほとんど完璧で直しようのない、そのまま演じるのが最良の方法だというべきものも多くある。
    ~ わたしの性格としては負けを承知で挑戦したい。師匠のような現役バリバリの人からヒット作を教われる場合ならともかくとして、現代のテンポの違った昔噺を教わったとしても、それを現代に流れる古典として生まれ変わらせる時が、いまの若い落語家にとっては勝負になるのだと、わたしは確信している。

    芸人の最後の評価は「ナンデアル」と聞かれたら、「ソレハ愛デアル」と答える。
    「その人の持つ技芸の上手さ」「個性の楽しさ」それぞれ愛する部分はその人その人によって違うだろう。しかし、
    「オレはアイツが好きでね…….」という言葉には一言もない。かりにその人のほめる人が下手でも、けなす人の方がかえって上手くても、好きなのだから、また嫌いなのだからしかたがない。そしてその愛というものは、芸とはまた違った、昔流にいうならばその人の人柄というか、持つ個性というか、そのあたりからでてくることが多い。
    ~芸人のもつ魅力は愛される要素だ、といったが、しかしこの愛も、ただの好き嫌いではなく、やはり、内容を理解し、深さのある愛であってほしい。
    ~ 芸人には最終的には愛がものをいう。
    愛される芸人でなくてはならない。イヤ、もっといえば、愛されなくては、むしろ芸人とはいえないのだ。





    ※上記は1965年に刊行された立川談志師匠の現代落語論よりの抜粋である。
    古典を今に再現すると言う点ではクラッシック音楽と共通しており、そういった意味で大変興味深い論文である。


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